天満屋(前田穂南)監督は武富豊!経歴・教え子や嫁に家族構成は?

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1月28日、第43回大阪国際女子マラソンが開かれました。

パリ五輪代表をかけたマラソングランドチャンピオンシップファイナルチャレンジを兼ねて行われ、なんと19年ぶりの日本記録更新となりました。

東京五輪代表だった前田穂南(天満屋)が日本新記録の2時間18分59秒でゴールしたのです。

天満屋の前田穂南選手の監督は武富豊さんです。

気になるのはこの驚くべき記録をたたき出した天満屋、前田穂南選手の監督武富豊さんの経歴や教え子ですよね!

嫁や家族構成などのプラベートも合わせて一気に調査していきます。

目次

天満屋(前田穂南)の監督は武富豊

今回話題になった天満屋の前田穂南選手の監督は武富豊監督69歳です。

ではさっそく天満屋武富豊監督のプロフィールを見ていきましょう。

プロフィール

1954年生まれ佐賀県出身の元陸上競技選手です。

中学一年生の時から陸上競技を始めました。

現在は天満屋陸上部監督として活躍すると共に、総合型地域スポーツクラブ「百太郎夢クラブ」を設立し、活躍の場を広げています。

健康管理のために毎朝5時に起き、選手の朝練中に自身も2時間ほど歩いたり走ったりするのが日課のようです。

家族より多くの時間接している選手たちには、選手としてだけでなく立派な社会人として歩めるように指導するよう心掛けているとのことです。

画像出典元:スポニチ Sponichi Annex

天満屋(前田穂南)監督・武富豊の経歴や教え子は誰?

天満屋武富豊監督の経歴を見ていきましょう。

経歴
  • 神戸製鉄所に入社し陸上部の選手となる
  • 1978年ボストンマラソンで優勝
  • 1980年別府大分マラソンで優勝
  • 1984年全日本実業団ロードレースで優勝
  • 1996年天満屋の監督就任
  • これまで4大会連続オリンピックに女子マラソン日本代表を送り出す
教え子
  • 山口衛里
  • 坂本直子
  • 中村友梨香
  • 重友梨佐
  • 前田穂南

経歴

佐賀県立多久工業高校時代にインターハイで5000mに出場。

予選会で4位に入賞し全国大会出場を決めたものの、上位入賞には至りませんでした。

神戸製鉄所に入社し、陸上部の中心選手としての活躍を見せます。

1978年にはボストンマラソンで9位入賞、1979年に別府大分毎日マラソンで1位ときん差で2位

1980年には同マラソンで優勝を決めました。

さらに1984年には全日本実業団30キロロードレースで優勝しています。

神戸製鉄所陸上部コーチをつとめ、1992年に天満屋のヘッドコーチに、1996年には監督に就任しました。

監督就任後2000年、2004年、2008年、2012年と4大会連続オリンピックに女子マラソン日本代表を送りだし、そのうち2大会でオリンピック7位入賞に導きました。

天満屋の武富豊監督は現役時代から実力を積み上げてきた選手だったのはもちろん、監督としての実力も確かなことがわかりますね。

武富豊監督のモットーは、集団行動での切磋琢磨と各選手の能力に応じたメニューの組み立てと語っています。

教え子

次に武富豊監督の主な教え子について見ていきましょう。

山口衛里

武富豊監督の元、2000年シドニーオリンピックに出場し7位入賞を決めました。

現役引退後の現在は天満屋女子陸上ヘッドコーチに就任し活躍中です。

※右端が山口衛里選手です

坂本直子

武富豊監督の元、大阪国際女子マラソンで優勝を果たし、2004年アテネオリンピックに出場し7位入賞を決めました。

引退後は天満屋陸上部アドバイザーとしてサポートしつつ、学生・市民ランナーに向けてランニング指導者としても活躍しています。

中村友梨香

武富豊監督の元、名古屋国際女子マラソンで優勝を果たし、2008年北京オリンピックに出場しました。

現役引退後、一度は陸上競技から離れたものの再び陸上競技クラブのコーチとして復帰し活躍中です。

重友梨佐

武富豊監督の元、大阪国際女子マラソンで優勝し、2012年ロンドンオリンピックに出場しました。

2017年の大阪国際女子マラソンでの優勝を果たし、同年世界陸上ロンドン大会を最後に引退します。

現役引退後は、市民ランナー・学生などのランニング指導で活躍中です。

前田穂南

武富豊監督の元、2024年1月28日に行われた大阪国際女子マラソンに出場し、19年ぶりの日本新記録を更新しました。

3月に行われる名古屋ウイメンズマラソンで最上位を決めて、パリオリンピックの出場切符を手にすることが期待されています。

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